競馬を分かりやすく表現してみよう

ロシア革命後、亡命先のフランスにJを呼ぶ。 南ロシアで競馬事業を営む。
ロシア革命軍から逃れ、Jと一緒にワルシャワまで競走馬を運ぶ。 彼はガニ股の小柄な黒人で、レンズの分厚い眼鏡をかけ、髪は白髪まじりだった。
きちんとボタンをかけたスーツの上着は厚い胸板ではちきれんばかりで、喉仏の下には細いネクタイがきりりと結ばれていた。 足取りはゆるやかであり、七九という寄る年波でいくぶんよたよた歩きの気味がある。
一九六一年五月の第一水曜日のこの日、J・Wはケンタッキー州ルイヴィルの目抜き、ブロードウェイを歩いているほかの黒人の年寄りたちと似たり寄ったりに見えた。 Dより肌の色の薄い、人目を引く容姿の三六歳になる女性が脇で彼の肘に手を添えてやさしく介添えしていた。
こちらは娘のRで、フランスの町メゾンラフィットで育った子供の頃には父親のD・Wからほとんど顧みられることのなかった人だった。 さらに言えば、彼はー〇代のRをアメリカに送り返し、シンシナティにいた姪のところに同居させて上の学校へ進ませたのだった。
彼女は全米最古の黒人大学、フィスク大学を卒業し、今は妻にして母である。 Jとしてはあらためて彼女を知りつつあり、失われた時間といくつかのはなはだしい過ちの埋め合わせをしようとしているところだった。
Bーホテルの絨毯敷きの石段を上がっていく二人の姿はブロードウェイをゆきかう白人たちの目を引いた。 J・Wは正面人口のドアまでたどり着くのにひと苦労した。

病院で胃の摘出手術を受けたのはさほど前のことではなく、体力の回復に手間どっていた。 突然ドアマンがやんわりと二人を制止した。
ドアマンも黒人で、ルイヴィル随一の高級ホテルにふさわしい洒落た制服で格好をつけていた。 「中へは入れませんよ。
あなた方をお入れするわけにはいきません」「わたしたちはスポーツーイラストレイテッド誌の招待客よ」Rが気まずさと狼狽と腹立ちをないまぜにしながら言い返した。 ドアマンは少々お待ちをと言い残して、ロビーの大理石張りの床を横切って奥へ消えた。
彼はアメリカーの人気スポーツ雑誌が先頃十数ページの誌面を割いて、際物的な通俗小説の書き手も顔色なしのJ・W一代記を載せたことを知らなかった。 昂然と胸を張り、顔にかすかに笑みを浮かべてそこに立っている小男がケンタッキー・ダービーで優勝した最後の黒人騎手であり、しかもそのレースに二連勝したー彼の場合は一九〇一年と翌二年丿史上二人しかいない騎手の一人だということも、ドアマンは知らなかった。
ドアが再び開いた。 「だめですね」とドアマンは重ねて言った。
Rは食い下がった。 スポーツーイラストレイテッドの誰かと話をするまでは帰らないと言い張った。

ドアマンは気が立ったこの若い女との言い争いをなんとしても避けようと再び中へ引っ込み、全米競馬記者協会の宴会がまもなく開かれようとしている宴会場へと戻っていった。 J・Wはまるでバスでも待っているように泰然とその場に佇んでいた。
彼はたやすく動じず、アメリカで最も名高いレースが毎年五月の第一土曜日に開催されるC競馬場の大株主でもあるこのホテルのオーナー、J・GーBをしのぐほどの財産を築き、後に失ったその生涯を通じて、実際動じたためしがなかった。 少年時代、Jは故郷の町ケンタッキー州レキシントンで隣人たちが白人に逆らったかどでリンチにかけられるのを見聞きしていた。
一〇代の騎手の頃には、体重半ドンもの競走馬にまたがり、時速六〇キロ近くで疾走しながらアイルランド系の若者や底意地の悪い田舎者だちとやり合いもした。 シカゴの賭博場で粗悪な密造酒を飲んだばちで左目が斜視になっていたし、風の強いあの都会でのレースで危うく死にかけた落馬事故のせいで、老いてきしみがちな脚に今も絶えず痛みがあった。
Jはロシアではほぼすべての主要なレースに勝ち、モスクワ1の高級ホテルに住み、白人の従者を雇い、ロシアの貴婦人たちと一緒にキャヴィアを食べ、P貴族たちとウォッカを飲んだものだった。 第一次大戦で気の毒に貫通銃創を負ったり手足を失ったりしたロシア兵たちの看護をしたこともある。
ロシア革命の騒乱を生き延び、恐るべき残虐行為の数々を目にもした。 この銃弾を避けながらロシア最高のサラブレッドー五二頭を安全な場所へ移す手伝いをしたときは、三ヵ月間、一八〇〇キロ近くに及ぶ道無き道の旅の途中、人も馬も餓死しかけたものだった。
その後パリの競馬場を制覇し、風光明媚なフランスの田舎で地所持ちの名士にして調教師となったが、結局は一切合財ナチに召し上げられた。 二〇年足らず前、Jはニューヨークのクィーンズ区で手持ち式削岩機を受け持つ道路工夫になった。
L大統領のニューディール政策にもとづく雇用促進局の失業対策事業の一環として、市の舗道で身長一五〇センチ、体重四七キロの倭躯の内部を振動でぐじゃぐじゃにされる仕事にありつけたのを日々ありがたがったものだった。 一〇年足らず前にはサウス・カロライナのさる牧場での厩舎住まいを卒業して、安手の馬を調教したり、ウェストーヴァージニア、デラウェア、メリーランド一帯の貧乏白人や炭鉱夫が群がる草競馬に出て勝ったりするようになった。
いやまったく、J・Wはめったなことでは動じなかった。 Bーホテルの前で辛抱強くじっと待ち、上の階に上がって最高級のあばら肉のローストにでもありつく許可は出るのかとなりゆきをうかがった。
が、Rのほうは気まずい思いをしていて、Jはそれを哀れんだが、ただし気まずさというやつを彼はあまり重要視してもいなかった。 そうでなかったら、それまでさんざん軽率なひどい過ちをしでかしておいて、おめおめとこの日ここに来てはいなかったろう。

Jは生涯に三度結婚していた。 相手はやせっぽちのケンタッキーの黒人娘と、白系ロシア人の軍人のひ弱な娘、それにこれも白系ロシア人の男爵令嬢だった。
彼はいずれも愛し、いずれにも不当な仕打ちをしてしまった。 最初の相手とは離婚し、二人目は見捨て、三人目には屈辱を与えた。
彼には何人も愛人がいて、うち一人は拳銃を買い込んで、彼の肘を撃ち抜いた。 それにまた彼はあまりいい父親でもなかった。
長男が彼の轍を踏んで危ない橋を渡るのを止められず、この息子は二五歳で死んでしまった。 Rには目下償いをしているところだったしー償うべきことは多々あるのだが、現在ではメゾンラフィットにもどって次男と共同で馬を扱う仕事をしていた。
まだほかにも別の愛人との間に今や二〇代の一男一女がいて、そちらともなんとかうまく折り合いをつけようとしているところだった。 ようやくドアマンが入口のところにもどってきて、「いいですよ」とだけ言って、脇へさがった。
Rは怒りのおさまらぬままJの肘に手を添え、連れ立って宴会場へと進んだが、そこでは一斉に振り向いた満場の白人たちの視線にさらされた。 スポーツーイラストレイテッド誌の編集者がそばにやってきて、両人と握手したものの、すぐに背を向けて人込みの中に消えてしまった。
親子はウェイターに所定のテーブルへ案内され、席についたが、誰も話しかけてこなかったーただ一人例外はこれも小男で、Jと同じく元騎手だったが、ただし白人だった。 「よお」R・Dは赤ら顔に茶目っ気たっぷりの温かい笑みを浮かべて呼びかけた。


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